皆さん、以下の人を見かけたらどうしますか?
・指が乾燥しすぎてタッチパネルが反応せず、切符を買うのに苦労しているおばあちゃん
・地図を持ってキョロキョロしている外国人
助けてあげたくなりますよね。
二つ目の外国人を助けるためにはその周辺の道を知っておく必要がありますが、一つ目のおばあちゃんなんかは自分が同じくらい指が乾燥してない限り誰でも助けてあげることができます。「私が押しましょうか? どこの駅に行きたいのですか?」と優しく話しかけてあげましょう。
電車で席を譲ることすら断られる昨今でも、このくらいの親切なら断る人は少ないと思います。
では、次の場合はどうでしょうか。
・一人で歩いているとどこからか話しかけてきて、「知り合いの車にスマホと財布を忘れてしまって途方に暮れている」という旨を伝えてきたおじさん。
大変ですよね。夜8時頃に(多分)見知らぬ土地でスマホも財布もないなんて心細い上に絶望です。その知り合いにも連絡が取れないわけですから、一体どうすればいいのか混乱しているのでしょう。
助けてあげたくなりますよね?
ですが、
絶対に助けてあげてはいけません。
いや、これでは少し御幣があります。
正確には、「スマホもお金も貸してはいけません」ですね。
なぜなら十中八九「寸借詐欺」であると考えられるからです。
寸借詐欺とは……(wikipedia引用)
寸借詐欺(すんしゃくさぎ)とは、代表的な詐欺のひとつで、人の善意につけこみ小額の現金を借りるふりをして、騙し取る行為を指す。
最近そういった人に会ったので、その話をしたいと思います。
これは僕が旅行からの帰宅途中、最寄りの駅から三分程歩いた場所で起こりました。
僕の後ろから、みすぼらしい恰好のおじさんが「すいません」と声をかけてきました。
ここに引っ越してきてから駅の場所なんかを聞かれることが割とあったので、そういう人かと思っていました。
僕が「何でしょうか」と答えると、おじさんは以下のような状況に置かれていることを説明し始めました。
・友人の車にスマホと財布を置いてきてしまって切符が買えない。
・家は隣の県なので歩いて帰ることもできない。
・警察に相談したら「どうしてあげることもできないので知り合いを見つけてくれ」と言われた。
・とにかく困っている。
・電話番号とメールアドレスを教えてもらえば後でお礼ができる。
・だから助けてくれ。
…………
既にこの時点で僕はかなり懐疑的でした。
なぜなら警察には「公衆接遇弁償費」といって、財布をなくしたりして帰れない人にお金を貸して救済する制度があります。
……まぁ、調べたところ100%貸してくれるわけではなさそうなので、この部分に関してはおじさんの言った通りである場合もあるでしょう。
そしてもう一つ。「だからお金を貸してほしい」というような、僕にしてほしいことを直接言わないことが引っかかりました。長々と話したのは状況説明に過ぎず、同情を誘っているようにしか見えないのです。
だから僕は牽制として「では、僕は一体どうしてあげたら良いのでしょうか?」と聞いてみました。
おじさんは「スマホで電車の時間を調べてほしい。しかしスマホのケースに電子マネーのカードを入れているので切符は買えない……」と言います。
僕は確信しました。
この人、人の同情心に付け込んでお金をだまし取る人だ……と。
ここで「タクシーを呼んでほしい」とか言ってきたのならまだ助けてあげたでしょう。
しかし、この口ぶりからして僕に切符代を出させようとしていることは明白です。
この「電車の時間を調べてほしい」というのは、いつか友人が言っていた「フットインザドア」ではないかと思えてきます。
フットインザドアとは……(wikipedia引用)
「フット・イン・ザ・ドア・テクニック」と呼ばれる手法は「一貫性の原理」を利用しているビジネスの例である。これは、顧客に対して小さな(一般的には顧客にとって損失のない)要求を行い、それが受け入れられてから大きな要求を行うという手法である。
それに、その後「社会人の方ですか?」や「この辺に住んでいるんですか?」と聞かれたので怪しさは頂点に。これって困っている人の質問じゃないですよね。
ただ、そう確信したはいいものの、どうやって撒こうか迷っていました。
夜の暗い道で二人きりで、こっちも最近一人暮らしを始めて不安の多い身。下手に情報を与えてはまたそこに付け込まれると思った僕は、一つの嘘をつくことにしました。
「ごめんなさい、お金の貸し借りは親に止められているので僕は助けてあげられないです」
「親に止められているから」と言うことで実家暮らしであることを仄めかしつつ、その親がしっかりした人であることを示しました。
そしてこの言葉には「おじさんの言ったことを信じている」ということが前提になっています。つまりはバカのフリをしてこの回答に悪意がないことを表したのです。
変にあしらって襲い掛かられても怖いですから、善人を気取ることで相手の逆ギレを封殺しました。
おじさんは「そうですか。では、別の人に頼んでみます。ありがとうございました」と
すんなり引いていきました。
やっぱりこの人は「お金を貸してくれ」って言いたかったんだ。と確認しつつ、少し遠回りに帰りました。
これが一連の流れです。
検索してみて、こういった手口で1000円以上のお金をだまし取る詐欺があることを知りました。
「お金を貸してください」と直接言わないのも、「貸してくれなんて言っていない」と言い逃れするためだったのです。
また、こういったものの応用で、「スマホを貸してほしい」と言って電話をするだけの人もいるらしいです。電話の先は名簿になっていて、その後に勧誘やアンケートといった迷惑電話が多くかかってくるので注意だと聞きます。
もし話を貸してほしいという人に会ったら、自分のスマホは貸さずに近くの駅や交番を教えてあげましょう。もしくは「以前人に貸して被害にあったから貸すことができない」と言っても良いかもしれません。
また、「このおじさんが本当に困っていたらどうするんだ!」という意見に対して。
仮にこのおじさんが本当に困っている人である場合、このような詐欺が横行しているにもかかわらずその典型に近いことをしているおじさんの責任であると答えます。そもそも僕にはなんの関係もない他人ですから、同情するもしないも僕の勝手です。いや、一番悪いのはそういった詐欺をする人であることが前提ですけどね。
「親切である」ことは素晴らしいことです。しかし、その逆である「親切ではない」ことを容易に責めるのはお門違いと言わざるを得ません。
人助けをすることは美しいことですが、そこに付け込んで人を騙す時代になっています。
クリティカルシンキングのように、近づいてくる「人」を疑うことは決して悪いことではありません。しっかりと見極めましょう。
以上です。