自分の内臓が人と全く違ったらどうする?

 

どうも、今回は供養回です、角田です。

 

以前構想だけ練って、結局盛り上がりに欠けると判断して没にした小説の案をここで供養しようと思ってます。

 

創作している人の何かのアイディアの一片にでもなれたら幸いです。

 

 

では、小説のあらすじ。

 

主人公はどこにでもいる普通の男子高校生。

ある日右腕を強く打ち付けてしまうが、腰の左側から痛みが走り、どんどん体調が悪くなっていく。

これは尋常ではないと病院へ行くと、彼の身体の内部は未知の臓器で構成されていることが判明。

血液のポンプと解毒を共に行うA、なぜか右腕から左の腰までつながっている消化器官B、一体どんな働きがあるのかすら分からないC。

血液や構成する成分は同じであるためこれまで判明していなかったが、彼は全く新しい人類の形態を持っていたのだった。

人の姿をしているからといってもこれでは既に別の生物。

人と急所の位置が違うため、何でもないことで致命傷を負ってしまう彼の苦悩が始まった。

 

 

……という内容。

 

タイトルは「New Animal」です。

そう。the pillowsの曲を聞いている時に思いつきました。

 

まぁ、これは原案というか、軸にしたい設定なのでもっと煮詰めれば様々な展開にできたのですが、途中で断念しました。

 

テーマとしては、「人の姿をして、人らしく振舞っていれば人間として生きられるのか?」ですかね。

 

主人公は内臓の構成以外は何一つ変わったところはない平凡な人であるため、逆に目に見えないし感じることができない部分での悩みが映えるんじゃないかと思っています。

 

この設定の苦悩にいまいちピンと来ていない人のために少しエピソード例を出しましょう。

 

 

例えばあなたの恋人の内臓が全く人ならざるものであったとして、その人との間に生まれた子供はどうなりますか?

もしかしたら染色体の数が違って子供を作ることもできないかもしれませんが、万が一生まれた場合、また未知の体構造をもった人が生まれる可能性があります。

 

もしその恋人が病気になったら?

一般で処方される薬が効く保証はありませんし、副作用のリスクが未知数となります。

これはその子供にも言えます。

 

とにかく、今まで人類が積み上げてきた医学はその人の前ではほとんど振り出しにもどります。

 

それに、今何気なく過ごしている日常も、その内臓にとっては重度の負担になっていないとも言えません。

デスクワークで腰を痛めていくように、何でもない行動――例えばベッドで横になるとか――がじわじわと体にダメージを溜めていく恐怖がありますよね。

 

そういった、味方や先人が突然いなくなった中でどう生きるか、そして自分自身は本当に人間であるのか、と苦悩するパートが多いでしょうね。

 

もし僕が明治期の文人であったならばこの作品も風情ある感じに仕上げられたのでしょうが、なかなかそこまでの想像力が足りないのが現実。

 

 

 

もし僕だったらどうするんだろう。

 

現代では見世物や実験対象になる可能性すらあるのでうかつに言いふらすことも阻まれます。

「人間じゃない」なんて公式に認定されたらそれこそお手上げです。

 

できるだけこれまでの経験則で自分を分析していくことになりますね。

 

で、恋人問題ね。これが非常に悩ましい。

正直恋人がいなければここまで悩みは大きくならない気がするんですけどね。

 

 

……という、没小説の案でした。

意外と面白い案が浮かんだなって思ったんですが、僕の手に負えるものではありませんでした。

 

調べてないので分かりませんが、同じような趣向の作品があったら教えてください。

どんな風にラストを迎えるのか非常に興味があります。

 

 

以上。