個人的「平成良かったもの(こと)」ランキング

 

これが「秘境のゴミ屋敷」における平成最後の記事となるでしょう。

明日から新元号「令和」が始まってしまうので、今のうちに平成について振り返りたいと思います。

 

 

というわけで始めます! 

 

 

平成良かったもの(こと)ランキング!

 

 

 

……ただ、僕自身が平成生まれなので、僕の人生自体が平成の枠に全て収まっています。

それと、個人的な内容しか含まないので別名「角田の人生良かったものランキング」とも呼ばれています。

それと、多少身内ネタを含んでいますので閲覧の際はご注意ください。

ついでに、今回は珍しく僕の成功体験の詰め合わせです。

失敗談が見たい人は「地獄巡り」へどうぞ↓

rightuncle.hatenablog.com

 

一個一個が結構長めなので一応目次は載せておきます。

 

 

 

 

 それでは始めます。

第五位!

 

 

・小学校のときに人生初めてもらったバレンタインチョコ

 

はい、これが第五位です。

「平成関係なくね?」と思ったあなた。

 

……。

 

………。

 

…………。

 

そうだよ。

 

なぜこれがランクインしたかというと、僕が初めて味わった甘酸っぱい出来事だったからです。

小学校3年生くらいだったかな?

当時は「バレンタインデーだから」とそわそわし始める年ごろでした。

ただ、お菓子の持ち込み禁止であった学校では特筆するような出来事はなく、バレンタイン特有のなんだか落ち着かない気分を家に持ち帰りました。

 

そして家に帰って2時間程、突然家のチャイムが鳴ります。

既に消えつつある夕日に照らされながら玄関に立っていたのは近所の女の子でした。

お互いに照れながらいくつか言葉を交わし、僕はチョコを受け取りました。

懐かしいなぁ。

 

実は幼稚園時代、僕めちゃくちゃ女の子に好かれていたんですよ。

……まぁ、彼女からすればそういう「遊び」だったという可能性は大いにありましたが、僕目線からみればモテモテだったわけです。

 

ただ、小学校に上がってそれが嘘のようになくなりました。

幼稚園のモテ度100だとしたら小学校は0。

そういう経験を経て「あ、人って無条件に好かれるわけじゃないんだな」と知り、大人の階段を一歩進んだのです。

しかも、小学生って好きな人を言わないじゃないですか。僕も隠してましたが。

なんなんだろうねあの文化は。誰から学んだんだ。

 

まぁ、そういうことが相まって、異性の愛が枯渇していたのです。

 

……ということを感じてた矢先にこれですよ。

カイジが地下帝国でビールを飲んだ時のような幸福感を得ましたね。

真に人に好かれる喜びを感じました。涙が出ます。

 

では次。

 

第四位!

 

・大学受験合格

 

まぁ、これでしょうね。

僕は実力より上の大学に挑戦し、見事合格するというサクセスストーリーを経験していました。

まぁ、一般の入試ではなく推薦入試ですが。

 

ただ、努力はしっかりとしていて、受験が近い時期は毎日遅くまで学校に残り、暗い中を一人で帰っていました。

試験内容が小論文と、一般入試と全く違う内容であったので推薦がダメだったらその期間の時間が無駄になってしまうというプレシャーにも耐え、なんだかんだセンター試験でもB判定は取ったので許してください。

 

あと僕、小論文がめちゃくちゃ苦手だったんですよ。

高校一年生の最初に受けた小論模試の偏差値が45であると言えばわかるかと思います。

小論指導でも散々赤ペンを入れてもらい、休み時間も延々と文章を書いていました。

 

で、これは完全に自慢ですが、後々教授に聞く話によると僕はぶっちぎり一位で入学してたらしいです。

努力の完全勝利でした。

 

 

では次。

 

第三位!

 

・中学の吹奏楽

 

これね。

この部活のおかげで最高の中学生活を過ごせました。

数人の男友達と一緒に入部したのもあって毎日めちゃくちゃ楽しかったです。

それこそ土曜練習も面倒くさくありませんでした。

 

部自体の人数も多かったので面白い人もいました。

例えば一度地獄巡りで紹介した(↓)例の先輩。

rightuncle.hatenablog.com

 

他にも楽器を無意識にぶっ壊しまくる「クラッシャー」という名を欲しいままにした先輩や、育ちの良さから「唾・よだれ」のことを頑なに「おつゆ」と呼ぶ後輩、気を抜いていると執拗に互いの鎖骨を攻撃し合う同級生などがいました。

 

また、一緒に入部した男子は仲が良く、毎週家に集まっていました。

基本皆バラバラの事をしていたのですが、恒例の「二組のトランプを混ぜ合わせた大富豪」をするときは全員参加、というあの時間は忘れられません。

 

 

では次。

 

 

 

第二位!

 

 

高校の友達!

 

 

 

あー、これね。

まさかのランクイン。

ちなみにこの記事冒頭で貼った地獄の一丁目 ハイパー☆もやしパーティーは高校の友達とやりました。

あれもいいのですが、日常的なこともかなり楽しかったんです。

 

例えば、毎週日曜日に狂人の家で格ゲーやカードゲームをしてました。

毎回3~5人くらい集まるので卒業まで全く飽きなかったんですよ。

 

あと、昼食を図書室で食べていたのも結構思い出に残っています。

これは「図書室の利用者が全くいない」+「司書の先生と仲が良かった」+「くつろぎスペース(仮名)という謎スペースがあった」という三要素が組み合わさって奇跡的に実現しました。

そもそも、狂人以外僕たちはクラスが別々でしたから、集まる場所がなかったんですよ。

で、どういういきさつでそうなったのかは覚えてませんが司書の先生に許可をもらうことができたのです。

まぁ、許可をもらった分、図書館の蔵書点検を必ず手伝ったり、夏休みに庭の掃除を一日中やったりと少なからず手伝いはしていたので一方的に押し掛けた感じにはなってません。

 

あの昼休憩は本当に最高でした。

そもそも「食パン一斤と食材を持ち寄ってサンドイッチを作ろう!」って発想が出てくる仲間ですから。

ちなみにこれでできた巨大サンドイッチをもって廊下を闊歩していたところ、先生に見られて怒られたらしいです。

 

あと、卒業式後も先生に図書室に呼び出しを食らい、全員で写真を撮りました。

高校一の思い出です。

 

 

 

はい、では最後。

 

栄えある第一位!!

 

 

 

 

 

一位は!

 

 

 

 

 

 

なんと!!

 

 

 

 

 

・大学の友達

 

はい。

文句なしの優勝。

 

記事ではあまり触れていませんね。

 

これに関しては自由である大学生って身分もかなり良い加点になっています。

思い返してみると「楽しかったなぁ……」としみじみ感じることが多くなりました。

 

 

バーベキューとか旅行とかって友達としたことがなかったのでそういう所も新鮮だったな。

あとはパズドラとかシャドバとかスプラトゥーンとかのゲームをめちゃくちゃやったし、カラオケも死ぬほど行きました。

とにかく、これまで体験したことないことを体験しまくった大学生活でした。

 

あてもなく夜にドライブして道の駅に行ったり、「会議」と称して銭湯に行ったり、海で砂の城を作ったり……。

 

今までのぶっ飛んだやつとはまた違った良さだったんですよ。

常識ある人が多かったというか。安心して楽しめる部分が多かったですね。

強面の優男とか、穏やかな巨人、仮面ライダーラリアンなど、少年らしさを残した大人に囲まれていてすごく幸せでした。

特に強面の優男が一番真面目っていうギャップも斬新だったなぁ。

 

あ、あと写真の得意な三人も良かった。

コミュ力が半端なく高いやつとか、どんなカテゴリでも話ができるやつとか、キャラクターが面白くて友達のブログ記事にされてたやつとか。

 

 

で、最後にあいつを忘れちゃいけない。

キーワードは「チャーハン」「野菜嫌い」「チキンカツ守り」「カイジ」「寝坊」「ロバ」「漫画」「音楽」など多数あり、今でも日常的に顔が思い浮かぶことの多い男です。恐らく、大学時代で一番多く交流があった友人なのですが、今まで出会った中で一番賢い人でした。

 

 

 

 

 

さて、友人のほとんどが新しい生活にもまれて戦っています。

僕も負けないようにしっかりしなきゃ、という気持ちでいっぱいです。

またカラオケにでも行きましょうか。

 

 

 

『平成』

辛いこともありましたが、それ以上に楽しいことの多い時代だったと思います。

 

 

 

それでは、令和元年にまた会いましょう。

 

以上。

実家に戻ったはいいが、することなさすぎ問題について

 

大型連休なので一旦実家に戻りました。

2か月とはいえ、少し離れていた家族とやりとりを交わしたのもつかの間。

 

暇です。

 

本当にすることがありません。

 

というか、実家のときでも一人暮らしを始めた後も、これといった趣味がなかったので変化していないといえばそうなんですけど。

ただ、心の底では実家に帰る日を割と楽しみにしていまして、「ようやく退屈な日常が少し変わるなぁ」と思っていました。

 

これ、あれなんですよね。

引っ越しのときも全く同じことを考えていたんですよね。

 

結果、休日の過ごし方に関しては大学時代のときと大差ありません。

そりゃ、僕が変わっていないんだから。

 

まーたYouTubeを見て過ごす生活に逆戻りですよ。

いや、もう戻ってもいないか。

 

以前、こんな記事を書きました↓

 

rightuncle.hatenablog.com

 

「1アクションでこの生活を変えたい」という内容です。

ただ、もうこの考えをしている時点でダメ。

ようやく気付きました。

楽には変われないんですよね。

特に、積極的に行動を起こしていない僕は、無意識に今の生活を求めているのでしょう。

 

というわけで、もう考えるのをやめました。

今日からしっかりとYouTubeを見て生活したいと思います。

 

以上。

オープンネス偏差値32の男

 

久しぶりの更新となりました。

今回は自分語りをしていきたいと思います。

 

 

ときに皆さん、人に心を開いていますか?

初対面から相手を完全に信用しきるのは問題がありますが、かといって心を閉ざしたままでは友好的な関係を築きづらくなってしまいます。

友好的な関係を築けなければ心を開くこともなくなっていく……という悪循環に陥ってしまうのです。

 

 

 

ちなみに僕は人に心を開いてないらしいです。

いや、自分としては割と開いているつもりだったのですが、実はそうではなかったようです。

 

というのも、僕は自分が「心を閉ざしている」という事実を明確な数値で目の当たりにしたことがあるんです。

 

大学三年生で「EQ」を測る検査(?)を受けたことがあります。

この「EQ」に関してはコトバンクより引用します↓

 

情動の知能指数。いわゆる「頭のよさ」を指し示すIQ(知能指数)に比した概念。IQがおもに「知能」の発達速度を示すのに対して、EQは仕事への取り組み姿勢や人間関係への関心の度合いなどを感情という視点から測定する指数。

 

僕が受けた説明としては「人とコミュニケ―ションをとる際の自分の傾向」だったかな。

まぁ、平たく言ってしまえば性格診断です。

人とのかかわりに積極的なのか消極的なのか……とか、そういったものですね。

 

このEQには大きく三つの項目があります。

・心内知性(自分の感情をコントロールできるか)

・対人関係知性(自分の考えを伝えることができるか)

・状況判断知性(相手の心理状態を把握できるか)

 

この三つの中にはまた2~3つの項目があり、その中にまた1~4項目ある、というもので結構細かく分析してくれます。

 

 

で、このEQはIQと違って結果を偏差値で表してくれるんですよ。

例えば偏差値が高ければ人との関わりに積極的、低ければ消極的だとして、偏差値55ならほどほどに積極的という感じです。

なので偏差値50に近い項目より、50から極端に離れた項目が自分の特徴をよく表していると言えます。

 

僕のEQの結果としては全体的に見れば普通でした。

大方の項目が偏差値45~55の間で留まっており、総評は5段階評価で3というなんとも微妙な結果でした。

 

しかし、状況判断知性の中の項目「対人受容力」の中の「オープンネス」(人にどの程度自分から心を開き、人の心を自分に開かせるかという事)という項目の偏差値が32だったのです。

 

他全部普通なのにオープンネスだけ32!? と当時も驚きました。

 

いや、「貴方は全体的に消極的ですね。オープンネスもちょっと低めですね」と言われる分には納得できるんですが、実際言われているのは「お前は一切自分から心を開かん人間やけど普通や」ですからね。

一切心を開かない人は「普通」ではないわ。

 

……という、明確な低さを目の当たりにした僕は少しショックを受けましたとさ。

 

 

これが大学三年生の話だったので四年生の話に移ります。

卒業式当日に「角田君は最初ゼミの女の子に全然心を開いていなかった」と教授に言われていたことが判明したのです。

まぁ、確かに僕は異性に対して同姓と同じような接し方をしていたとは言えません。

 

しかし……! それでも……!

 

心を閉ざしていたわけじゃないんだ……!!

 

これは本当です。

だって同じゼミなんだから。

だから特に気負いもせず接しられたのに。

そう見えてしまっていたとは……。

と、これも割とショックでした。

 

 

 

 

という状況に終止符を打つため、「心を開いていない」と見られてしまう原因を考えてみました。

 

それは「感情の起伏が表情に反映されづらい」ということです。

 

まぁ、考えるまでもなく薄々気づいていたことではあるのですが。

 

 

僕はめちゃくちゃ楽しいとき、等極端な感情は分かりやすいのですが、それ以外の感情はほとんど顔に表れません(と自分では思っています)。

だから、たっぷり寝て爽快な気分で出社したときに「どうした? 顔が死んでるよ?」と言われたり、同期と話しているときに「え、目死んでるじゃんw」と言われたりするんです。

 

 

 

……いや、ちょっと待て「顔が死んでる」とか「目が死んでる」とか「人生つまんなそうな顔してる」とかって、普通に失礼だからな?

面白いと思って使うなよ? 弁解するのも大変なんだからな?

間をもたせる一言としては最悪だぞ。

あと、死んでるって表現やめろ。他人の身体部位に対して使う表現じゃない。

自分でもめちゃくちゃ心配になってくるわ。

 

 

閑話休題

という、この表情を何とかしなければいけません。

もしかしたら僕が知らないだけで本当に心配されているのかもしれないし。

 

というわけで、顔にザオリクをかけたいので、ザオリクの詠唱方法を知っている方は教えてください。

 

 

 

 

 

……いや、オープンネス32の時点で心が死んでいると判定されているのか。

あの検査は表情関係ないし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

じゃあ、もうどうしようもありません。

 

 

以上。