久しぶりの更新となりました。
今回は自分語りをしていきたいと思います。
ときに皆さん、人に心を開いていますか?
初対面から相手を完全に信用しきるのは問題がありますが、かといって心を閉ざしたままでは友好的な関係を築きづらくなってしまいます。
友好的な関係を築けなければ心を開くこともなくなっていく……という悪循環に陥ってしまうのです。
ちなみに僕は人に心を開いてないらしいです。
いや、自分としては割と開いているつもりだったのですが、実はそうではなかったようです。
というのも、僕は自分が「心を閉ざしている」という事実を明確な数値で目の当たりにしたことがあるんです。
大学三年生で「EQ」を測る検査(?)を受けたことがあります。
この「EQ」に関してはコトバンクより引用します↓
情動の知能指数。いわゆる「頭のよさ」を指し示すIQ(知能指数)に比した概念。IQがおもに「知能」の発達速度を示すのに対して、EQは仕事への取り組み姿勢や人間関係への関心の度合いなどを感情という視点から測定する指数。
僕が受けた説明としては「人とコミュニケ―ションをとる際の自分の傾向」だったかな。
まぁ、平たく言ってしまえば性格診断です。
人とのかかわりに積極的なのか消極的なのか……とか、そういったものですね。
このEQには大きく三つの項目があります。
・心内知性(自分の感情をコントロールできるか)
・対人関係知性(自分の考えを伝えることができるか)
・状況判断知性(相手の心理状態を把握できるか)
この三つの中にはまた2~3つの項目があり、その中にまた1~4項目ある、というもので結構細かく分析してくれます。
で、このEQはIQと違って結果を偏差値で表してくれるんですよ。
例えば偏差値が高ければ人との関わりに積極的、低ければ消極的だとして、偏差値55ならほどほどに積極的という感じです。
なので偏差値50に近い項目より、50から極端に離れた項目が自分の特徴をよく表していると言えます。
僕のEQの結果としては全体的に見れば普通でした。
大方の項目が偏差値45~55の間で留まっており、総評は5段階評価で3というなんとも微妙な結果でした。
しかし、状況判断知性の中の項目「対人受容力」の中の「オープンネス」(人にどの程度自分から心を開き、人の心を自分に開かせるかという事)という項目の偏差値が32だったのです。
他全部普通なのにオープンネスだけ32!? と当時も驚きました。
いや、「貴方は全体的に消極的ですね。オープンネスもちょっと低めですね」と言われる分には納得できるんですが、実際言われているのは「お前は一切自分から心を開かん人間やけど普通や」ですからね。
一切心を開かない人は「普通」ではないわ。
……という、明確な低さを目の当たりにした僕は少しショックを受けましたとさ。
これが大学三年生の話だったので四年生の話に移ります。
卒業式当日に「角田君は最初ゼミの女の子に全然心を開いていなかった」と教授に言われていたことが判明したのです。
まぁ、確かに僕は異性に対して同姓と同じような接し方をしていたとは言えません。
しかし……! それでも……!
心を閉ざしていたわけじゃないんだ……!!
これは本当です。
だって同じゼミなんだから。
だから特に気負いもせず接しられたのに。
そう見えてしまっていたとは……。
と、これも割とショックでした。
という状況に終止符を打つため、「心を開いていない」と見られてしまう原因を考えてみました。
それは「感情の起伏が表情に反映されづらい」ということです。
まぁ、考えるまでもなく薄々気づいていたことではあるのですが。
僕はめちゃくちゃ楽しいとき、等極端な感情は分かりやすいのですが、それ以外の感情はほとんど顔に表れません(と自分では思っています)。
だから、たっぷり寝て爽快な気分で出社したときに「どうした? 顔が死んでるよ?」と言われたり、同期と話しているときに「え、目死んでるじゃんw」と言われたりするんです。
……いや、ちょっと待て「顔が死んでる」とか「目が死んでる」とか「人生つまんなそうな顔してる」とかって、普通に失礼だからな?
面白いと思って使うなよ? 弁解するのも大変なんだからな?
間をもたせる一言としては最悪だぞ。
あと、死んでるって表現やめろ。他人の身体部位に対して使う表現じゃない。
自分でもめちゃくちゃ心配になってくるわ。
閑話休題。
という、この表情を何とかしなければいけません。
もしかしたら僕が知らないだけで本当に心配されているのかもしれないし。
というわけで、顔にザオリクをかけたいので、ザオリクの詠唱方法を知っている方は教えてください。
……いや、オープンネス32の時点で心が死んでいると判定されているのか。
あの検査は表情関係ないし。
じゃあ、もうどうしようもありません。
以上。