それは高校生の時に組み上げた一体の人形であった。
当時の私にとって何万円もするその人形は非常に高価で、文字通り節制の果てに手に入れた宝物だ。
青いガラスの瞳に麦藁色の髪、色白な肌は陶器のように滑らかで一点の汚れもない。
今は深い青のドレスを身に纏っており、幼い顔立ちに似合わず淑女のような雰囲気は狙った通り、生きている少女さながらの背伸びした可愛らしさを醸し出していた。
人形の素体は無表情であるため、にこやかな表情は自身で書き足さなくてはならなかった。
口角の部分に少しだけ加筆し、少女はいつだってにこやかに佇んでいた。
私は彼女に「アリス」と名付け、部屋に飾っていた。
異変に気付いたのは大学に入ってからだった。
私の実家は片田舎のため夏の夜は羽虫が多い。
窓を開けようものならば、部屋の照明につられて多くの虫が侵入してくる。
その年、いやに虫が少ないと思いながら過ごしていたことを覚えている。
ある日、部屋の掃除をしていた際、アリスの立っている棚を掃除した。
そこには溜まった埃に混じって数多くの羽虫の死骸があった。
逆に言ってしまえば、アリスの足元以外に羽虫の死骸はなかった。
埃が溜まっていたのは、その頃はアリスに特別感が薄れ、部屋にいることが当たり前になったことで、手入れがおざなりになっていたためだ。
その時、久しぶりにアリスの表情をまじまじ見たのだが、口角に入れた微笑みの線は消えていた。
少女は表情を失っていた。
それからしばらく毎日のように掃除をしていたが、その度に羽虫が2、3匹彼女の足元で息絶えているのを確認した。
引っ越しの前に私はアリスの手入れをした。
髪の埃を落とし、服を洗濯して口角に再び微笑みを加筆した。
それ以来――実家に比べて羽虫の絶対量が減ったからだと考えているが――彼女の足元で死骸を見かけることはなくなった。
彼女は今でも、私の部屋で私に微笑みを投げかけている。
次、その微笑みが消えた時に足元に転がるのは一体何の死骸なのだろう、と私は彼女の瞳の青を読もうとするが、透き通ったガラスは私を写しているだけだった。