そんなわけあるか。
職工だって最後は抵抗したいに決まってる。
……と、突然何の話を始めたかと思うでしょう。
タイトルは芥川龍之介の『河童』の中の主人公のセリフです。
「河童の国では、機械の導入等によってリストラされた職工を食肉にして食ってしまう」という制度を聞いたら、僕もさすがに嫌な気分になると思います。
河童の言い分としては、国家が職工の餓死や自殺の手間を肩代わりするといったもので、人間と違う倫理観を持った河童たちの間では当たり前のように語られます。
このシーンは個人的に衝撃を受け、忘れっぽい僕でもずっと覚えています。
いつか、大学で「著名な作品のパロディ小説を書く」といった課題が出た時も、このシーンの要素をベースに話を書いたものです……。懐かしい。
まぁ、僕はそういった文学に精通しているわけではないので、このシーンについては「河童と人間の倫理観は大きく違うんだなぁ」という表面上の印象しか得られませんでしたが。
で、前回同様、私たちに目線を向けます。
「この世には利用する人間か利用される人間の二種類しかいない」のような、物語の悪役にありがちなセリフに依って二元化するならば、アホな僕は間違いなく「利用される人間」サイドになるでしょう。そして、『河童』では食肉にされると思います。
ここで問題。
では、その役割を自覚している上で、集団のために進んで犠牲となれるのか。
……
僕はなれません。
有毒なガス室の中ですら最後までヤダヤダと暴れまわります。
当たり前だと思うでしょう?
あなたもきっと最後まで抵抗するのではないでしょうか?
「だって、僕たち河童じゃないし……河童は倫理観が違うんでしょ?」
と思っていませんか?
タイトルで書いたセリフの後、河童は答えます。
それは騒いでも仕かたはありません。職工屠殺法があるのですから。
ここでいった倫理観は、強者のものであり、弱者については想像するしかありません。
つまり、犠牲という刃を向けられた河童が強者の河童と同じ気持ちを抱くかは別問題なんです。「制度だから……」と言いつつ、不満を抱いて死んでいく河童もいるでしょう。
こういった河童のように、自分の意思とは関係なく「制度だから……」と納得してしまう人もいると思います。他人のためだから……と自分を犠牲にする人は僕の知人にもいるからです。
このブログを見つけたセンスのあるあなた。あなたには、そういった「自分を守ることを失念している人」を助けてあげてほしいんです。
そういう人は決まって食肉となることを是としているので、焼肉にでも連れて行って冷静さを取り戻してあげましょう。
勿論、同族の肉ではない焼肉でね。
また、僕たちは動物の犠牲の上に立っていることも自覚しましょう。
なんだこの記事。