表面上の僕と表面下の僕の性能差

僕自身についての話をします。

 

僕が必至こいて考える「デュフフ……これ面白いだろ」というもの。

これらは経験上、十中八九面白くありません

 

悲しいかなこれが現実。これはなぜなんでしょうね。

「友達の頭に「?」を浮かべた数オリンピック」があったならば、中学時代の僕は日本代表の候補として英才教育を受けたことでしょう。そのうち「霊長類最強の寒さ」を手にいれ、訪れた国に寒波をもたらす「松岡修造の対となる存在」としてTwitterで騒がれる未来まで透けて見えます。

もしかしたら僕にはセンスが足りないのかもしれません。

 

しかし、なんとか芸人さんの言い回しを転用しつつ乗り切っていたためか、「なんだか寒い奴」というレッテルだけは張られないまま成長していきました。

 

そして去年。ある友人との会話で、僕は自身のことを明確に理解しました。

その会話の内容というのは、「友人と付き合ってきた中で面白かったことにはどんなものがあったか」という、生産性の欠片もないものです。が、これが後に僕の精神内にドラゴンボールでおなじみの孫悟空を生み出すことになります。

 

その友人曰く、「お前の中で一番面白かったのは旅行中の一言だった」らしいです。

少し詳しく言うと、お昼ごはんをどこにするか考えあぐねている時に、カメラの店に足を取られた友人に対して、スマホを眺めたまま

「……お前はそれ食ってろ」

と呟いたとのことでした。

 

僕の文章では伝わらないとは思いますが、仲間内では面白かったらしいのです。

 

まぁ、この出来事が面白い面白くないは別として、問題は「この出来事を僕がほとんど覚えていない」ということです。つまり、狙ってやったわけではないのです。

これをきっかけに、僕は「何も考えずに適当に言ったことのほうが面白いのではないか」と思うようになりました。

 

正直これまで生きてきて、僕も自分の実力にはムラがあり、特に大舞台や土壇場に極端に弱いことを薄々自覚していました。そういう場では、なにか面白いことを言おうとして頭が真っ白ということがほとんどだったのです。

一方、話の流れで適当に言ったことは意外とウケが良かったりしたので、僕の自尊心はこの「適当な一言」に守られていたことを知りました。

 

こうして、表面上の「論理的」な僕と表面下の「本能的」な僕との実力差があることを自覚した僕は、自らのことをドラゴンボールにおける伝説の戦士「ゴタン」であると定めることになります。

 

要は、全力を振るう「ミスター・サタン」と、全力を出さなくても敵を倒せる「孫悟空」が共存している状態なのです。

※決して「僕が適当に言ったことが人類最強に面白い」と言いたいのではなく、表面上の僕である「ミスター・サタン」との実力差を表すため、仮に「孫悟空」としています。悪しからず。

 

そうして、僕のミスター・サタンは隠居を決心しました。自分が必死にならずとも、悟空に任せていれば間違いないじゃないか……と肩を落としながら。

 

しかし、僕の悟空には欠点があります。

「それは持久力がない」ということです。一言の破壊力はあっても、話自体を面白くすることがどうしても難しい。

 

ある時、悟空はサタンに言います。「一緒にブログをやりてぇ」と。

サタンは顔を上げましたが、その顔は悲壮感に満ちています。「……オレが携わったところで……面白くはならんだろう。悟空。面白くない記事で満ち溢れるブログ……それで満足できるのか?」

そんなサタンの弱音を聞き、僕の中の悟空は親指を立ててこう言いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やれ。面白くしなきゃぶっ殺す」

 

 

 

 

 

 

 

 

……というわけで、オレは悟空に怯えながらブログを始めましたとさ。

以上、ミスター・サタンでした。

 

 

 

 

 

 

 

※僕はドラゴンボールが大好きです。