宝苦慈

妄想の中の僕はいつも幸福だ。

 

どんなことだってできるし、誰にも負けない。

まるで宝くじが当たったかのように幸福だ。

 

でも、現実の僕はそうじゃない。

誰にも勝てず、何もできない。

今日だって、宝くじは当たらなかった。

 

 

毎日人を傷つける妄想が時間を奪う。

僕が見ているのは宝くじが当たった別の僕。

罪悪感もなく、歯向かう者を苦しめ、優越感に浸る。

 

これが当たれば現実の僕も楽になるだろう。

もう誰のことも考えなくて良いのかもしれない。

 

 

今日の当選者は特に酷かった。

詳しくは言えないが、とにかく酷かった。

蔑視と称した羨望の眼差しを向けた僕自身にも辟易する。

 

 

いつか、現実の僕にも当選する可能性はあるのだろうか。

何百、何千、何万分の一か、もっと少ないのか。

誰か教えてくれ。

 

 

当選は死と同じだ。

罪悪感は痛みと等しい。

だから、当たった後の罪悪感を考えるのなんて馬鹿げている。

どうせ当たるならさっさと当たってくれ。

 

でも、僕はこの宝くじを一枚も買ったことがない。

買う勇気すらも。