僕が大学に合格した日

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

どうも、角田です。

今回はテーマが「記憶に残っている、あの日」ということで、僕が大学に合格した日のことを書いていこうと思います。

 

最初に言っておきますが、これはいい話ではありません。

希望の大学に合格という嬉しいことだらけの出来事の中にある、どうしようもない一つの後悔をお話しようと思います。

 

 

まず、僕は高校入学当時、勉強はそれほど得意ではありませんでした。

自己評価でいうなら中といった感じでしょうか。

赤点になって苦しむということもなければ、成績上位に食い込んでいるわけでもない、中間にいました。

ただ、これは僕の通っていた高校の中での話。

 

僕の高校はそれほど頭の良い高校ではありません。

偏差値で言うなら45とかになるかと思います。

実際、僕が高校入学時に受けた小論文の模試の全国偏差値は45、学校偏差値は50程でした。

 

で、僕が合格した学部は偏差値55くらいのところでした。

それほど大したことがないのですが、当時の僕や高校からすればほんの一握りの人が入学できるかどうかというレベルの高い大学という認識でした。

 

高校に入学してしばらくしてから僕は勉強を頑張り出したこともあり、学年順位がみるみる上がって、高校3年生になる頃にはその大学の推薦を貰えました。

推薦の試験内容は面接と小論文。

先にも言った通り、僕の小論文の偏差値は1年生の時に受けた45のまま。

とてもじゃありませんが合格できるとは思えません。

 

そのため、推薦が決まった日から、現代文の先生との猛特訓が始まりました。

夜遅くまで指導してもらい、家に帰ってからは別の問題で小論文の問題を解くという生活を繰り返して試験に臨みました。

世の受験生はそんなものだろうと思いますが、僕も相応の努力をした経験がなかったので、この記憶は頑張って何かを成し遂げた経験として残っています。

 

そして、結果は合格。

高校で合格発表を見て、まさか受かるとは思っていなかった担任の先生も喜んでいました。

これまで一緒に頑張ってくれた先生、友達も祝ってくれて、その日は本当に幸せな気分でした。

 

家に帰り、僕は合格を母に伝えました。

母も例に漏れず大喜び。

「頑張ったね」「やっぱりあんたはできる子だね」と様々な言葉を貰いましたが、僕は苦笑いを返すことしかできませんでした。

照れ隠しではなく、母の言葉は何一つ、僕の喜びにはつながらなかったのです。

僕の心にあったのは後悔の念だけでした。

 

 

 

 

ここまでは僕が大学に合格した話。

ここからはなぜ僕が後悔をしたのかという話です。

 

時をさらに戻して中学時代。

僕の成績はみるみる下がっている途中でした。

というのも、小学校時代に僕はよくいる「特段勉強しなくても成績の良い生徒」であったため、そもそも勉強や努力をする習慣も危機感もありませんでした。

 

兄弟の中でも僕の成績は良く、両親の期待を込められていたことに天狗になっていたのかもしれません。

 

なんとなく授業を聞くだけの中学生活が過ぎるにつれ、上の成績は中の上に、中の上は中に、中は中の下になっていきました。

 

しかし、危機感というのは特段芽生えることはなく、その姿勢は高校受験の日まで続くこととなります。

僕は身の丈にあわないことにも気づけず、少しレベルの高い高校を受験していました。

その滑り止めとして、僕の通うことになる高校を受験しました。

 

結果、本命の高校は不合格。

滑り止めの高校に通うこととなりました。

 

それでも僕にがっかり感はそこまでなく、失敗したなぁ、くらいの気持ちでいました。

 

そして、高校に入学して1~2か月程経ったある日、僕に危機感が芽生える出来事が起きます。

 

僕が部屋からトイレに移動している途中、リビングにいる両親の話が聞こえてきました。

話はどうやら僕の話。

母が「どうしてあんな子」「本当に期待外れだった」と言っているのを父がなだめてるといった場面でした。

 

高校受験が上手くいかなかった段階でなんとなくは察していましたが、そこで明確に失望されていたことを知ったことでショックを受け、ようやく現状の危機感を感じました。

 

それで僕は勉強を頑張るようになったのです。

 

 

そして大学合格時。

母にそういった言葉をかけられても喜べなかったのは、就職などに向けた母の期待感を背負ったことに、ある種恐怖のようなものを感じたのです。

ただ、これは母が悪いと言った話ではありません。

自分のことを「できる人間だ」と錯覚できなくなったこと、人の失望を買うショックを既に知っていたことから起こる感情であり、それら全てを感じるきっかけとして自分の怠惰があったことは間違いありません。

 

僕はもしかしたら母の失った期待を取り戻すために勉強を始めたのかもしれません。

しかし、結果としてそれを喜ぶことはできませんでした。

そこに後悔を感じていたのです。

 

 

「失った信頼を取り戻すことには時間がかかる」というのはよく聞く言葉です。

裏を返せば、時間さえあれば信頼は取り戻すことができるというようにも聞こえますが、信頼以上に失ってはいけないもの、もう二度と取り戻せなくなるものもあります。

自分の未来を左右するものは全てに全力をかけて臨みましょう。

 

以上。