僕は僕でなければ何でもいいのかもしれない

また知らない人として生きる夢を見ていました、角田です。

 

 

近頃は自分が角田であることを思い出して少しがっかりすることが多くなりました。

 

なんだろう、正体の分からない自責の念をじんわりと感じます。

 

別にその五分後くらいには夢のことなんか忘れて過ごしているんですけどね。

 

 

 

思えば、僕はこれまで自分とかけ離れたものに惹かれる傾向があったような気がします。

 

物心ついたときには女の子に憧れ、少し成長して海に憧れ、その次には人の生き様に憧れ……と色々なものに憧れてはどれも自分に取り込むことができませんでした。

 

まぁ、自分との境界がはっきりしていて決して届かないからこその憧れでとても普遍的なものですが、今回は少しだけ目をつぶってください。

 

一方、物欲というものは簡単に解決できます。

 

憧れているものに近い物を集めることで少しでも距離を縮めることができる気がします。

 

例えば男性である私が女性になりたいと思ったとしたならばまずは女性用の服を買ってみるとかね。

 

憧れているものになるよりもはるかに簡単ですね。

 

 

 

もちろん、今までの僕も色々なものに憧れては色んなものを集め、そして捨ててきました。

 

僕は決して満たされなかった。

 

というのも、恐らく僕がなにを持っても「それを持った僕」になるだけであり、目指した姿、もとい僕でないものには変わることができないからです。

 

先の例えで言うなら、女性の心を持った男性が女性ものの服を集めるというのは、姿形ではなく心に合わせて色々と物を集めるから自分で満足することができる、と思うんです。

 

しかし僕は全く違い、姿形とも心とも違う「僕ではないもの」に惹かれているだけなので、それを入手したところで目的を果たすことができないんです。

 

一体いつからこんなに自分でない物に惹かれるようになったのでしょうか。

 

それはもう誰にも分かりません。

 

 

もしかしたらこれは僕の自殺願望なのではないかと思えてしまう時があります。

 

自分という存在が許せないが肉体的には死を拒絶しているため生まれた高次の、あるいは稚拙な自殺願望でしょうか。

 

まぁ、なんでもいいのですが。

 

これがそういう願望の表れでも、はたまた全然別の理由で生まれていたとしても僕はこれからも何一つ変わっていくことはないのですから。

 

 

僕が僕である限り。

 

 

以上。