極彩色のタガメをもう一度

 

幼い頃、僕は幼稚園でお遊戯会の準備をしていました。

 

演目は「おたまじゃくしの101ちゃん」という絵本のもので、僕はタガメの役をすることになっていました。

 

お遊戯会の準備、といっても道具は基本幼稚園の先生が作ってくれます。

タガメの役ならば腕にはめる鎌のような形の道具、それとお面です。

 

このお面、顔を覆うようなものではなく、ハチマキのような厚紙に白黒のタガメが印刷された簡易的なものでした。

 

園児たちの行う作業はこの白黒のお面にクレヨンで色を付けることです。

 

僕は自身のタガメを何を思ったか、赤、青、黄色、緑、黒、オレンジなどあらゆる色を用いて色塗りをしました。

仕上げられたお面は極彩色そのものです。

 

 

 

僕のお面は周りの園児に散々馬鹿にされました。

そしてそれはそのクラスを巻き込む大げんかになるまで大事になり、先生がなだめてくれたことで収まりました。

 

ただ、その場で事が収まっても、僕がそのお面を使い続ける限りまた同じことになると先生は気を遣ってくれたのでしょう、僕に

「どうする? もう一回塗りなおす?」

と聞きました。

 

そもそも僕はタガメが茶色であるなんてことは知っていました。

その上でこの色を塗り、自分自身を守るためにけんかを起こしたのです。

これまで味方だと思っていた先生が急に遠く感じられ、僕は塗りなおすことはせず、本番までその極彩色のお面を使い続けました。

 

 

 

あれから十数年……もしかしたら二十年程でしょうか。

 

僕は外で極彩色を使うことはなくなりました。

恐らく今、あの時のお面を渡されたのなら茶色一色で染めることでしょう。

 

あれだけ強く持っていた僕自身はいつだかすり減り、世が信じている正解をなんとなく感じて差し出すつまらない大人になってしまったのです。

 

 

会社に入り、しばしば極彩色を求められることがあります。

分かりやすく言うならばテレビで擦られているノリを要求されるのです。

 

その人は極彩色のお面を持った僕を馬鹿にした、あいつと同じ表情をしていたような気がします。

 

僕は一度素の、ノーガードの状態で極彩色を描いているため、そういうノリがあるということを分かっていても非常に抵抗があります。

 

そのためか、毎度毎度普通の茶色を提出してしまうのです。

そのノリを知らない人を演じ、普通の受け答えをするのです。

 

「つまらないやつ」だなんて思われていても知りません。

僕も相手に対して同じことを思っているからです。

 

 

僕の目線からは、『僕』と『それ以外』しか存在していません。

幼い頃馬鹿にしたあいつも、会社の人も同じ括りに存在するのです。

だからこそ、僕は憤りを感じるのです。

 

 

恐らく、僕のように極彩色を使った子供たちは成長するにつれて一般的な色を使うことが正とされていることを受け入れていきます。

すると、大人になった際には極彩色を出す者はほとんどいなくなってしまっているわけです。

 

それを馬鹿にしたいがために、わざわざ人に極彩色を強要するその醜悪な心を見てしまいます。

 

 

まぁ、最初のころは無理して出したくもない極彩色を出すこともままありましたが、それももうやめました。

それで僕が幸せになることはありませんから。

 

 

 

……なんて言っていますが、実はもう一度自身の極彩色を守って戦えるような自信が欲しいんです。

いつか僕が捨ててしまったその自信さえ取り戻せたなら、他になにもいりません。

 

茶色一色のタガメはもうたくさんです。

 

極彩色のタガメをもう一度。

 

 

以上。