皆大丈夫か

どうも、最近近くの駅で人身事故が頻発しています、角田です。

 

皆さん、大丈夫ですか。

 

コロナ禍やお盆休みの終わりで死にたくなっていませんか。

 

「辛いのは皆一緒なんだ」とか言われても「知らねーよ」って感じですよね。

 

じゃあ逆を言ってみましょうか。

 

「お前以外は全員幸せだよ」ってか。

 

これも「知らねーよ」というか「それを言うなよ」って感じですね。

 

この両極を出すだけで他人と比べること自体がズレてることが分かりますね。

 

「じゃあ何を言えばいいんだよ」って思う人もいるかと思いますが、何も言わなくてもいいんですよ。

 

友達のゲーム機を壊してしまった時のように申し訳なさそうな顔をしていればその人も自分の世界に浸ることができるでしょう。

 

所詮、他人は救ってやれませんから。

 

 

というか、救うってなんだよって感じですけどね。

 

僕を始めとしたこういう人って自己否定しているように見えるかもしれませんが、結局やっているのは「自己肯定と逆に進むこと」を肯定しているだけですから。

 

別に前向きな人と方向こそ違えどやっていることは一緒なんですよ。

 

 

自分が生きようと思えば生きるし、死のうと思えば死ぬ。

 

そんなもんですよ。

 

 

誰が何を言ったとして、本人が手をかけようとしなければ永遠に落ち続けていくだけなんです。

 

 

こういうのを救おうとする「いい人」って、一言二言の「強い言葉」を使って救おうとしますよね。

 

「生きてればいいことがある」とか「死んだら誰かが悲しむ」とか誰の受け売りかも分からない言葉の力を信じている姿は正直滑稽です。

 

先も言った通り、大きなでっぱりが一つあったところで本人が手を伸ばさなければただ通り過ぎていくだけなんです。

 

では、そのでっぱりにつかまったとしましょう。百歩譲ってね。

 

その後その人はでっぱりにつかまったまま、どうやって上に登ればいいんですか?

 

手がしびれてきた、上に行きたい、でも他に掴む場所がない。

 

その後その人は再び落ちていくでしょう。

 

そして、もう二度とでっぱりには手を伸ばしてくれません。

 

大きなでっぱりを出すこと自体に快感を覚える奴なんか信じるなよ。

 

 

その人を這い上がらせたいなら小さくても、たくさんのとっかかりを作ってあげましょう。

 

会話をする、一緒にご飯を食べる、遊びに行く、なんでもいいからその人が上に登りたいと思わせ続けなければなりません。

 

限りある自分の人生の一部をその人にささげることになります。

 

よく言うじゃないですか。

 

「捨て犬に食べ物をあげるなら一生世話をする覚悟をしろ」って。

 

別にその人達は余裕のある人を気持ちよくするために苦しんでるわけじゃないんですよ。

 

その人にやさしい言葉をかけてあげるなら、本当に助けたいと思うなら覚悟をしろって話です。

 

 

……と、ふっと湧き出た正義感でしょーもない励ましをする人に向けて言ってしまいました。

 

 

 

ちなみに、僕が誰かに生きて欲しいと思ったら「ラーメン行こうぜ」って言います。

 

週3で言いますね。たまに寿司。

 

で、別にその人の話はせず僕の話したいことを話します。

 

それで一緒に楽しめたらあとは登らせるだけですよ。

 

 

そうですね……。

 

そこのあなた。そう、死ぬのが怖くて生きているそこのあなた。

 

僕とラーメンに行きましょう。

 

そんでチャーシューをいつ食べるかとかそういう話をしましょう。

 

僕はいつでもあなたとラーメンに行けるのを楽しみにしています。

 

以上。

 

 

 

 

……まーたアマちゃんに怒られちゃうよ。