器用貧乏な僕と、器用貧乏に悩むあなたへ

今回は大半が自虐なので、本題に飛ぶための目次を張っておきます。

 

 

器用貧乏(?)な僕の自虐

僕には特技といえる特技がありません。

しかし才能がないことと、なまじ色々な経験があるために「器用貧乏(?)」になってしまいました。

今回はそういう話です。正直ここは読まなくてもいいです。

「私も器用貧乏だよ~」って人は僕と一緒に傷を舐め合いましょう。

 

まず、僕ができるものを適当に挙げてみたいと思います。

小学校の時にピアノを習っていたので「鍵盤楽器」、中学で吹奏楽部だったので「だいたいの横笛」、高校でイラストを描いていたので「絵」、同じく文章も書いていたので「小説」……

 

いや、こうやって書き出すと思っていたよりありませんね。

というのも、「昔やってたけど恐らく今はできないもの」や「そもそもうまい下手という観念を持たないもの」を除外したらこれくらいしか残りませんでした。

 

「昔やってたけど~」では剣道、「そもそもうまい下手という~」にはレジンや折り紙等が挙げられます。

特に「昔やってたけど~」に関しては経験があって断念しただけに、それを経験したことない人よりも抵抗があると思います。つまり「もう一度剣道をやれ」と言われた場合僕は断固拒否するということです。

 

こうした経験の体験談なら共有できます。

例えば「吹奏楽部あるある」とか「フルートあるある」に共感することができるし、それをするにあたっての苦労なんかは僕も発言できます。

ただ、これらの経験を踏まえて僕ができるのはそれくらいです。

 

「ピアノをみんなの前で披露しよう」とか、死んでもそんなことは思いません。

なぜなら実力が見合っていないから。

少し例えが極端ですが「ピアノが弾ける」と言った人が「ねこふんじゃった」を不安定なテンポで演奏してたらどう思いますか?

皆の周りも昔いたでしょう。音楽の授業前にどや顔で「ねこふんじゃった」を高速で弾き始めるやつ。

僕はそいつを見るような目で見られたくないんですよ。

もし大勢の前でなにかを演奏しなきゃいけない状況になったなら、いっそ全くできない楽器を練習してやった方がマシです。

 

もちろん、そうは言っても「ピアノを全く触ったことない人」よりは弾けますよ。ただそれは普通では考えられない努力の結果であって、同じ量の努力を重ねた人の実力とはかけ離れたものになるんですよね。

 

分かりやすく数値で例えます。

1~100の数値で、40~50くらいが「習い事や部活で経験した場合の一般的な実力」で、90~100が「第一線で活躍できる実力」だとしましょう。

数値が上がるにつれて次のレベルにあがるのが難しくなっていきます。

だから、1を2にするのと70を71にするのでは雲泥の差があると考えてください。

 

僕の「ピアノの実力」でいうとだいたい35くらいです。この40~50に届いていないだけに人前で演奏できるだけの自信がないのです。

ちなみにこれはピアノを習っていた際、他の生徒の実力と比べて出した結論ですので割と信憑性があると思います。

 

あと、「それを経験したことがない人の実力」っていうのは0ではありません。

「やってみたら思いのほかできた」という人もいるので、「経験してみるまでわからない」というのが本音ですが、この数値の中では「経験した瞬間、ランダムで1~30の数値になる」くらいなイメージでいいです。

 

基本、僕は何かを始めたときはだいたい25くらい。「一緒のスタートラインに立った人と比べてできる方」というスタートを切ることができます。しかし、いかんせん伸びが悪い。先のピアノを見てみると分かるのですが、ガンガン人に抜かされていきます。

 

割と物事に対する熱量はあるので努力はするのですが、やはり「努力は裏切らない」という言葉を信じる気にはなれませんでした。まぁ、上に挙げた全てのものに関して努力したかと問われたらそうでもないんですが、中には本気でやったものもあったんです。

 

「40~50以上の実力があるもの」を特技、「数値に関係なくやるもの」を趣味だとすると楽器系は全て趣味の領域になるでしょう。

 

あと、僕に関して時には「自分以外の外部の力で披露する」趣味もありますが……一言でいうなら「無限の猿定理」ですね。これがかなり近い。

いつものようにwikipediaより引用です。

無限の猿定理(むげんのさるていり、英語: infinite monkey theorem)とは、ランダムに文字列を作り続ければどんな文字列もいつかはできあがるという定理である。比喩的に「猿がタイプライターの鍵盤をいつまでもランダムに叩きつづければ、ウィリアム・シェイクスピアの作品を打ち出す」などと表現されるため、この名がある。

 その中で比較的良かったものを表に出しているだけなので、実際その作品を出力する実力があるのかは疑問です。

 

そういった理由で趣味をたくさん持っている僕は「器用貧乏である」と思っているのです。単純に実力がないので本当に「器用」貧乏かと言われたら何も言えないのですが……。

まぁ、ここでは「始めた時は25~30程度の実力だけどそれ以上あまり伸びない人」かつ「なにかを極めたいと思っている人」に向けて話しています。

 

 

今回言いたいこと

……と、愚痴というか自虐を長々と話したわけなんですが、ここで言いたいのは、

 

いっそのこと「器用貧乏」を極めよう

 

ということです。

 

以前の僕もそうなんですが、器用貧乏の人って「自分が得意だと胸を張って言えるもの」を探しがちじゃないですか?

 

それが見つかれば問題ないんですが、「これを極めるぞ!」と意気込んで全く伸びしろがないと自信を失いますよね。そうなると挑戦すること自体に抵抗が生まれます。

そうではなく、「まぁ、35くらいの実力を目指すか」くらいの気持ちで気軽に挑戦し、実力35の趣味をたくさん持てばよいのではないでしょうか。

「全てのことが実力40以上でできる」という人はそんなにいないはずなので、たくさん持っていれば持っているだけ、集団の中で自己を確立できると思います。

 

結局、自信は「実力を念頭に置いた絶対値」ではないので、質ではなく数で勝負して自分に自信をもった方が新しいことに挑戦する意欲も増して「極めるもの」を見つけることも効率的に進むのではないでしょうか。

 

 

器用貧乏に自信を持ちましょう。

 

以上です。